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レコレコ「コラムと書評」

recorecovol.7., 2003.7-8. pp.68-71

 

橋本努(北海道大学大学院経済学研究科助教授・経済思想)

 

世界を見わたすための10

 

 

ミニコラム(600)「台湾での集中講義」

 

去るゴールデンウィークの10日間に台湾を訪れた。今回の旅行は私にとってのはじめての集中講義、しかも海外での英語の講義ということで、かなり冒険的な体験をしたように思う。

招聘を受けたのは、台中市の郊外にある朝陽科技大学。開校から9年目という新設の私立大学で、南国風の空間に斬新な建築物が並ぶスペクタクルなキャンパスであった。いくつかの講演や講義を行ない、また別の淡江大学でも講義をする機会を得たが、一つ大きな講演があった。滞在二日目の夜のことで、250人を収容する会場に300人以上が詰め掛ける中、私は「日本経済の変容」についてさまざまなデータを用いながら説明を試みたのであった。その日は、通訳を引き受けてくださった許光華先生のエンターテイメント性のおかげで大いに盛り上がり、また学生たちの質問も意欲的で、会場は異様な熱気に包まれた。台湾では学生たちの気質が違うのか、あるいは経済学に対する夢と希望がまだ失われていないのか。とにかく圧倒的なパワーと知の喜びというものがそこにあった。

 現在、台湾では高校生の90%が大学に進学し、その半数がさらに別の専門学校にも通うという、過剰な学歴社会が訪れている。大学ではパソコンの習得が徹底しており、一年次の授業でも、パワーポイントを用いた研究発表が行なわれていた。学生たちは勉強に多忙であるが、とてもスマイリーである。台湾の印象が、またひとつ豊かになる旅であった。

 

 

 

書評10

[1]

G・C・スピヴァク著、上村忠男/本橋哲也訳、『ポストコロニアル理性批判 消え去りゆく現在の歴史のためにと』月曜社2003

 

 文芸批評家スピヴァクの、二〇余年におよぶ脱構築批評の集大成。哲学、文学、歴史、文化の4章からなる。「哲学」では、カントにおける主体と野蛮の地政的差異化や、ヘーゲルにおける他者概念のナショナルな包摂が指摘され、また、マルクスにおけるアジア的生産様式論の再読を通じて、西欧近代の思考によって抑圧されてきたものが抉り出される。「文学」においては批評の実践的課題として、世界の帝国主義的な抑圧構造を強化しない文化的表象のあり方が模索される。さらに、インドにおける家父長制とイギリス植民地の「歴史」が被抑圧者としての女性の視点から検討され、最後に、後期資本主義のグローバルな抑圧に立ち向かう知識人の役割が示される。ローカルな対抗運動の可能性を深く掘り下げた渾身の作。

 

1.満足度 3

2.本のリンク  上村忠男著『歴史的理性の批判のために』岩波書店2002

 

 

 

[2]

ロナルド・ドゥウォーキン著、小林公/大江洋/高橋秀治/高橋文彦訳、『平等とは何か』木鐸社2002

 

 平等論の根本問題に応じた大著。個人的充足の平等や喜びの平等といった基準の無効性を指摘し、各人の生来の能力を含めた資源の私有が、「他者に及ぼす機会費用」を平等にすべきだと主張する。人は生来の能力を他者に売ることはできないとしても、いわば保険市場を模倣した所得税制度によって、能力差の運を是正することができる。能力を発揮した人は高い税金を納めることで、能力のない人が善く生きるためのコストを下げることができるというのである。この資源の平等論は、センの掲げる潜在能力の平等論を否定しつつ、費用の軽減によって自由選択の幅を広げる点で、自由の原理を補完する。また富の不平等が文化の感化力をも規定するような社会を批判する点では、ヘゲモニーへの対抗理論になっているのも興味深い。

 

1.満足度 4

2.本のリンク  ドゥウォーキン著『自由の法』木鐸社

 

 

 

[3]

笹倉秀夫著『丸山真男の思想世界』みすず書房2003

 

 主体の形成という観点から丸山の思想を体系的に再構成した労作。生の充溢と形式の緊張関係から主体と政治のせめぎあいをモチーフにする丸山の研究には、個人の内的自立から近代主体の陶冶を目指すという「生の技法」への関心が貫かれている。それはまた、「大衆的規模における自主的人間の確立」という啓蒙的な関心とも結びついており、広く社会科学の方法として、戦後の日本社会に影響を与えてきた。丸山の主体像はウェーバーのそれに極めて近い。本書の中間考察「アンチノミーの自覚」が、ウェーバーの有名な論稿「中間考察」と類似した議論となっている点も興味深い。緊張に満ちた近代の思考を取り戻すという本書の企図は、ウェーバーを読み替えた拙著の関心とも大きく重なっている。大いに勇気づけられた。

 

1.満足度 4

2.本のリンク 橋本努『社会科学の人間学』勁草書房

 

 

 

[4]

クロード・S・フィッシャー著、松本康/前田尚子訳『友人のあいだで暮らす 北カリフォルニアのパーソナル・ネットワーク』未来社2002

 

 綿密な実証研究によって、都市論の通説を塗り替えた快著。はたして都市においては、疎外された孤独な群集の出現によって道徳やコミュニティが衰退するのだろうか。本書によれば、「都市における人間関係の崩壊」というテーゼは実証されない。都市は、独特な下位文化を多様に発達させることで、豊かな人間関係を育むというのである。友人の数や親密性については、住む場所の特性よりも、学歴や所得や組織の成員数に依存しているという分析結果が提示される。都市には高学歴の若者が集中し、小さな街には高齢者が集中することから、場所によって人々の求める自由の内容が異なってくるのであろう。都会人は新奇さを求めるとしても、共同体に反するアノミーを帰結するわけではない、というのが本書の知見である。

 

1.満足度 4

2.本のリンク フィッシャー『都市的体験』未来社

 

 

 

[5]

金子守著『ゲーム理論と蒟蒻問答』日本評論社2003

 

 戯曲形式によるウィットに満ちた入門書。ハーサニの不完備情報理論、完全競争理論の貧困な世界、ナッシュ均衡と映画『ビューティフルマインド』の評価、方法論的個人主義と自己増殖オートマトンの意義など、社会科学の基礎論的な話題が豊かな会話のなかに蘇る。登場人物たちの性格づけも面白く、例えば、若い頃は期待されていたが現在は学界から忘れ去られた学者であるとか、ただマジメに勉強している若手の講師、あるいは、ときどき羽目を外す優秀な大学院生、といったキャラクターが会話を盛り上げる。高度にアカデミックな評価世界を生きるゲーム理論研究家たちが、豊かな人文的な教養をもって、自分たちの研究パラダイムを批判的に風刺するという、粋な社会哲学入門だ。

 

1.満足度 4

2.本のリンク 尾近裕幸ほか編『オーストリア学派の経済学』日本経済評論社2003

 

 

 

[6]

北沢洋子著、『利潤か人間か グローバル化の実態と新しい社会運動』コモンズ2003

 

 ちまたに溢れるグローバリズム関係の本の中でも、本書はとびきりすぐれた入門書。IMFやWTOや世銀などの国際機関を批判する際の論点は、それらが多国籍企業の資金補助を得て運営されていること、したがって富める者たちの世界支配を再生産するという点にある。そして反グローバリズム運動の主眼は、社会的弱者の側からそうした支配構造を暴いて倒すことだ。九九年のWTOシアトル会議が猛烈な抗議運動によって阻止されて以降、国際会議に乗じた大規模な国際運動が続いている。〇一年のジェノバでは25万人の抗議デモが繰り広げられた。現在、世界人口の二〇%にあたる12億人の人々が一日一ドル以下の収入で暮らしているという現実を前に、例えば為替取引に対する0・1%のトービン税導入などが検討されている。

 

1.満足度 4

2.本のリンク ナオミ・クライン『ブランドなんていらない』

 

 

 

[7]

野中郁次郎/紺野登著、『知識創造の方法論 ナレッジワーカーの作法』東洋経済2003

 

 たんなる発想術を超えて、知のディシプリン(鍛錬)を経営の資源として綜合した好著。哲学や社会科学上のありとあらゆる方法論を咀嚼し、ビジネスマンに新しい教養としての知識学を提唱する。従来、企業の価値といえば有形の資産、すなわち、物財や店舗空間や工場設備や土地などを基準としてきた。しかしこれからの企業は人間、すなわち、個々人の知識や能力やアイディアといった無形の資産を管理・蓄積することが、決定的に重要だという。知識の共同化、表出化、連結化、内面化という四段階モデルを提示しつつ、事例として、サントリーの飲料事業、ホンダのオデッセイ開発、マイクロソフト社のOS開発、トヨタのジャスト・イン・タイム方式などが紹介される。四つの段階それぞれに相応しいリーダーシップ像も示される。

 

1.満足度 3

2.ホワイト著『ストリート・コーナー・ソサエティ』有斐閣2000

 

 

 

[8]

スラヴォイ・ジジェク著、長原豊訳、『「テロル」と戦争――〈現実界〉の砂漠へようこそ』青土社2003

 

 テロ事件以降のイデオロギー状況を、虚構に覆われた日常生活の絶対的な拒否という主題の下に考察する。イスラム原理主義が近代資本主義の内部から生まれた敵であるとすれば、その敵(脅威)に対処するために共同体の価値へのコミットメントが必要となるが、著者はそこに保守派の台頭を読み取る。またアメリカ帝国主義に対する対抗軸としての「統合ヨーロッパ」という理念に対しては、ヨーロッパ全体の治安維持のための国境警備という隠れた権力を問題にする。はたしてテロとの戦争において、真の敵を見定めることは可能なのか。著者によれば、いかなる敵の認定に際してもわれわれはこれをパラノイア的に推断するほかなく、そしてどんな推断であれ、それは私たちを陳腐なイデオロギーに巻き込んでしまうという。

 

1.満足度 3

2.チェスタトン『正統とは何か』春秋社1995

 

 

 

[9]

小杉礼子編著、『自由の代償/フリーター 現代若者の就業意識と行動』日本労働研究機構2002

 

 現在、フリーターの数は一〇年前の約二倍、二百万人を超えている。やりたいことを見つけるために自由なフリーターになるというのはカッコイイ。しかし実際にやりたいことが見つかった人は一九%と少ないのが現実だ。みんな「正社員のほうがトク」だとか「年齢的に落ち着いたほうがよい」という理由で、夢を捨てフリーターをやめていく。しかし非フリーターの若者でも、「自分のやりたい仕事が分からない」と答える人が同じ割合でいる。フリーターに限らず、若者たちの人的資本をどう鍛えていくのか、ということが問題なのだ。不況で産業界の教育機能が働かず、また、これまで一生徒に一企業を紹介してきた高校の職業斡旋制度も機能していない。本書はそうした現代社会を再考するための、データに基づく貴重な資料。

 

1.満足度 4

2.本のリンク 大橋ツヨシ『プー一族』竹書房

 

 

 

[10]

山下範久著、『世界システム論で読む日本』講談社2003

 

 ウォーラーステインの世界システム論が下部構造決定論と西洋主導の近代化論を視軸とするのに対して、本書は、上部理念=帝国の想像上の共有によって規定される一六世紀の諸帝国時代なるものが、偶有的な経緯から近代世界システムを生み出したと主張する。日本は一九世紀になってはじめて近代化=開国を迫られたのではなく、すでに朝貢貿易などを通じて、一六世紀の近世帝国の一つである「中華世界」システムに巻き込まれていた。この観点から、近代化における日本例外論や西洋主導の近代化論が退けられる。近世帝国の解体が生み出した文脈の空白時代に、日本では本居宣長のような思想家が、文脈を選択する強い主体像を生み出した。当時の状況は現代の帝国状況とも並行しており示唆的だ。

 

1.満足度 4

2.本のリンク ウォーラーステイン『近代世界システムI,II』岩波書店1981